判って無いんだ、自分の事さえ。多分。
《見上げると、カンタータ》
嫌いだ。
嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌い。大嫌いで大嫌いで大嫌いで大嫌い。
嫌い。
嫌いなんだ、この弥生という男が。
それはもう嫌いという粋を超え、嫌悪から憎悪に変わっていた。
憎い。
どうして哉佳が死んで、弥生が生きている?
どうしてヤヨイが死んで、ヤヨイが生きている?
憎い。
嫌い、憎い、嫌い、憎い。
でも仄かに期待していたんだと思う。
『哉佳』という言霊が私を憎悪の深淵に突き落としたから、
『弥生』という言霊が私を深遠の面から引き揚げてくれると思ったんだろう。
だけどそれは『哉佳』を裏切ることで、
だけどそれは『哉佳』との約束を破ることで、
だけどそれは『哉佳』を愚弄することなんだ。
そう自分に言い聞かせて、私は弥生を憎んだ。
其れがどうだ。
あの弥生は私の目の前で笑っている。
震えるほど、優しいぬくもりで。
罪悪感さえ覚える、あの微笑みで。
あたたかいのだ。
帰りたい。
手を取りたい。
泣いてしまいたい。
何もかも、忘れてしまいたい。
《逃げてるだけだろ?》
忘れることは、許されないらしい。
それでも。
**********
沈黙が続いた。
どうしようもない沈黙。
今まで積み上げてきたものを全部ひっくり返す沈黙。
崩して破壊して、崩壊するときの沈黙は怖い。
悲しいほどに容易いから。
弥生は、手を差し出した。
「泣きたいときは、泣けばいい。」
手は冷気に当たって冷えている。
冷たい、手。
人を殺してきた手。
だけどそれでも、如月にぬくもりをあげられるなら。
「ごちゃごちゃ悩んでも仕様が無いだろ?」
「……でも。」
「如月班長、貴女の愛した人はそんなに理解の無い人だったのかい?」
「…哉佳は……。」
小さく漏れた言葉。
弥生は、全てが今繋がった気がした。
自分の名前と如月の最愛の人の名前は同じだったのだ。
(ヤヨイ、ね)
「泣きたいときに、泣いてはいけないとでも言う人だったのかい?」
「……御都合主義だな。」
「良いんだよ。それも。」
「…綺麗、言だ…な……っ」
遂に、硝子が砕けた。
血の雨を浴びた雌獅子は、頬に温い物を感じる。
涙だとわかるまでに、少し時間を要したが。
獅子に相応しく、年頃の女のように泣き叫びはせずにしっとりと、
如月は嗚咽を漏らすように静かに泣いた。
**********
「礼を言う。」
「僕は何もして無いよ。」
「…そういうことでは無い。命の、恩人だ。」
如月はそう言ってパチンと指を鳴らした。
同時に隠密隊が現れる。
姫と雫を救急室へと運んだ後、如月も運ぼうとしたが、如月によって拒絶された。
「行こうか。腕が無いし。僕はもう限界だし。」
「私は腕を切られたんだ。何故重症の私より疲れている?」
「……おぅおぅ、先輩は怖いね…っと、お礼は?」
歩き出していた如月の後ろから、弥生は軽い口調で話しかけた。
振り向く如月は、怪訝な顔をした。
「先ほど言ったろう。」
「『礼を言う』?あれはお礼を言いますって言う前置きだろう?肝心のお礼は?」
戯言を述べる弥生を見、溜息をつく。
軽い口調がさらに相まって心を軽くする。
今なら、ちょっと位くだけても好い様な気がして如月は微笑んだ。
「有難う、弥生。」
***********
「あぁぁぁぁぁぁぁぁー!!!何ですか!これ!」
「あまり…大きな声を出すな、泡沫。傷口に響く。」
「す…すみません……でも如月班長、これじゃ誰だって叫びますよ…。」
ごっそりと持っていかれた腕は、弥生が氷で止血されていたが、その氷でさえ赤く染まっていた。
小宵は眩暈がするのを何とか堪え、困ったように眉根を寄せる。
その光景を見て如月は、ふわりと困ったように、そして自嘲気味に微笑む。
「隻腕に…なってしまった。」
「……。」
「これも、罰なんだろうな。愛した人に背いた償いだ。」
「償い?」
「ああ。ちゃんと最期の約束を果たせなかったから。」
沈黙が場を満たす。
蔽班の休憩室には、小宵と如月しかいない。
不意に、小宵が口を開く。
「隻腕には、なりませんよ。」
「何?私の腕は今頃…腐っているだろうな。毒が仕込んであったから。」
「くっつけるんじゃありません。生やすんです。」
「生やす?」
「私の再生能力で。」
「それはまた…ずいぶんと大層な能力の持ち主だな。」
如月は、また微笑む。
**********
「…楓、いるか?」
紺青が、たずねてくる。
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