貴方を見るたびに思い出す。


《音、風、君と過去》



如月は、やけに血だらけになった自分の体を力なく座り込ませていた。
座り込むのも疲れた。
何もかも、疲れた。

もう、如何でもいい。

あの飛具が振り下ろさればもう何も心配は要らない。
そういえば、私は何故生きていたのだろう。
哉佳が居ない、この浮世で私は何の存在理由をもっていたのだろう。
何も無い。
何もいらない。
私が護りたかったのは哉佳だけで、
私が一緒に居たかったのは哉佳だけで、
私が話していたかったのは哉佳だけで、
私がともに食事をしたかったのは哉佳だけで、
私が心を許したのは哉佳だけで、
私が愛していたのは哉佳だけで、
哉佳だけなのに。
私はもう何も要らないはずだ。
だからもう死のう。誰も、私を欲してなどくれないから。
千回死んでも償いきれない罪を背負って生きる私に、生きる場所なんて無いのだから。
だから、左様なら。
今まで出会った全ての人へ、
謝罪と…私のような出来損ないの名を呼んでくれて有難う。
感謝と…愛してくれて有難う、哉佳。
尊敬と…貴方達のようになりたかった。
憎悪を…皆死んでしまえ。

皆、全部籠めて、左様なら。

振り下ろされる刃が鈍く煌く。
―痛みは、無かった。

そして、




生きていた。

「な…？」




「如月班長、何をしていらっしゃる？」



漆黒の髪が揺れていた。
離れていても感じる、刀の冷たさ。
否、刀ではない。
雫の飛具を止めていたのは、刀の形状をした氷。
己の発する冷気で辺り一面を凍らせている、水を操る班・覇（は）班長のみ持つことを許された刀。
其れが“白雹（びゃくひょう）”。

ぱり、という音がする。
雫の飛具が、凍っていた。
そして凍った飛具が、崩れた。
凍っただけでは壊れるはずの無い鋼の飛具が、いとも簡単に破壊されていたのだ。
雫は唐突に現れた第二の敵に驚いて瞳を見開いた。

「覇班長…二藍　弥生（ふたあい　やよい）か……！」
「いかにも。」

優雅に、弥生は刀を引いて鞘にしまった。
冷気が消える。
沈黙が流れた。
弥生は至極優美な微笑みを湛えたまま雫を見つめる。
その視線に雫は暫く驚愕していたが、やがて嘲笑気味に笑った。

「…所詮お前は新米の班長だ。」
「…。」
「維班の椄翔や蔽班の飛燕、そして此処に居る砂湖に比べて、就任して数年のお前など…」

「やってみないと、判らないだろう？」

「……好い度胸だ。」

二藍　弥生。
先代が班長の地位を退いてから、数年空位だったその席に就いた男。
優雅な物腰や柔らかい印象と、確かな腕を買われた。
元々は、覇班の下級糸断だったらしい。
覇班の不解の刀、『白雹』にいとも簡単に認められたその能力は未知数だ。
だが、就任してからの日が浅いためにまだまだ経験地は低い。
史上最強の班長と謳われる維班の椄翔　楓、
“女神”の娘こと蔽班の飛燕　時雨、
雌獅子の異名を持つ爾班の砂湖　如月。
その三人の陰に隠れて今までは日の光に当たらなかった存在。



如月は、この男が嫌いだった。



「白雹……銀景色（ぎんけしき）。」

そう微笑みを絶やさぬまま呟いて、白雹を振るう。
その刃は雫の体から大きくそれ、身体を囲むように円を描いた。
雫は飛具を持って素早いスピードで弥生の前まで来ている。
一瞬のうちに勝負は決した、ように見えた。
だが弥生は静かに微笑む。

パリ、と音がする。

氷が凍っていく音が不気味に響く。
雫がそれに気づいた瞬間にはもう遅い。
空中に出現した氷が生命を宿したかのように蠢き、雫の身体を取り囲む。
絶対零度の死の冷気が腕を、脚を、胴を捕獲する。

鋭い寒さが痛みとなる。
冷たさを通り越して、熱い感覚さえ覚えるその感触に雫は絶叫した。

「うわぁあああああぁぁああぁあぁあ！！」
「…氷の魔手からは逃れられないよ。」
「二藍班長、お前は…」
「砂湖班長、僕はあまり可愛い女の子の苦しむ顔は見たくない。」

「何を言っているんだ！弥生！お前を殺してやる！！」

雫が怒りの形相で弥生を叫び、憎悪に駆られて殺気を放つ。

「女の子は、笑っている顔がいい。」
『如月には、笑っている顔がいい。』


　　　　　　―白雹―

雫は、意識を飛ばして大地にひれ伏すように倒れこんだ。
氷の冷気を操るこの男が、こんなに強かったのかと如月は頭の片隅で思った。


「大丈夫かい？」
『大丈夫？怪我は無い？』



如月は、差し出された手を弾き返した。




「お前など消えてくれ！」
「…え？」
「お前など嫌いだ！」





「思い出すんだよ、哉佳を！！」





頬に大粒の涙が流れるのを無視して、如月は叫んだ。


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